自立した女性になるホームエステティシャン養成講座
廣森斉子
美と健康をトータルサポート ~アウラエール~
有限会社エール 代表
お気軽にご相談ください。
きっかけは31歳の頃でした
目元のシワが本当に気になりだして、
「このままほっておいたら、50歳になったらきっと私はしわくちゃになっちゃう」、
そう思いました。
時代は、昭和の終り頃でした。
当時の夫の給料はとても低く、月1万数千円の公団に住みながら、毎月2万円の生活費で、子供2人と私たちの家族4人が暮らしていかなければなりませんでした。
私も働きに出たかったのですが、夫は「女は家にいて家事と育児だけをしていればいい」という考え方の人で、私が外で働くことに大反対。夫のお母様も同様な考え方の人で、苦しい生活から抜け出る方法がありませんでした。
ただ一つ、姑が保母さんのお手伝いをしていた関係で、「保母さんならやってもいい」といわれました。もちろん、当時の私は保母さんの資格なんて持っていませんでした。
それでも、苦しい生活を抜け出すために、自分で何とかしなければならない、「小さなチャンスでも全力でつかまなきゃならない」、そんな思いで一から勉強を始め、全く畑違いだった保母さんの資格を必死で取得しました。
しかし、資格を取って、いざ保母さんの仕事を探し始めると、絶望的な思いをしました。
今でこそ保育士は立派な職業と思われていますが、当時は違いました。私の時代は女性なら誰でも子育てして当たり前で、保母さんなんて女性なら誰でもできる仕事だと甘く見られていたんです。
保母さんの仕事は家事の延長のような見られ方をしていたのです。そんな中、私のように努力して国家資格をとり、違う分野から飛び込んできたような女性は受け入れてもらえませんでした。
女性の努力がまったく認めてもらえない社会なんだと本当に悲しい思いをしたのを覚えています。
それでもなんとか内職の仕事を見つけ、封筒の宛名書き、スパンコールを縫い込む仕事、ポケットティッシュにチラシを入れる仕事、生地見本を張り付ける仕事、色々な内職を経験しました。
内職は自宅に材料が送られてきますが、当時住んでいた場所はワンルームの団地です。ポケットティッシュの段ボールがたくさん届いた時には途方にくれました。
そういった内職で、月8000円を稼ぐことがどれだけ大変だったか、今でも覚えています。自宅でやる仕事であればなんとか夫の了解も得られたので、あるときは家庭保育もやりました。近所の0歳児を2人預かり、自分の2歳の子供と6歳の子供の面倒を見ていました。保母さんの資格が少しだけ役に立ちました。
しかし、心労がたまり、とうとう急性腎う炎で数日間寝込んでしまいました。
朝6時から夜まで0歳児の子供を2人預かり、夫にとって騒がしかったこともあるのでしょう。寝込んだことをきっかけに、とうとう私が外で働くことを夫が許してくれました。
当時は今に比べて女性の働き口が少なかったのですが、やっとの思いで働ける会社を見つけました。働き始めて3か月くらいした頃、小学校三年生の娘が足の骨を複雑骨折する大けがをしてしまい、やっと見つけた会社を辞めざるをえませんでした。数か月娘の面倒を見て、完治してから、再就職先をなんとか見つけられました。しかし、その頃から夫との仲も決定的にすれ違ってきていました。
一人でも、なんとか子供二人の面倒を見ていかなければならないと心の中で決意した私は、友人に持ち掛けられた共同でスナックを経営する話にのり、昼は会社で働き、夜はスナックで働くという生活をすることになりました。まったくお酒も飲めないのに…
そして、平成元年の1月に離婚しました。
そんな苦労が顔に出ていたのが31歳の時でした。
「化粧品は知名度ではない」と気づきました
それまでは美容なんてまったく気にしていませんでした。
気にすることもできなかったくらい生活に追われていました。
しかし、離婚して一人になったとき、鏡に映る自分は、数年の時間をいっぺんに失ってしまったのだと気づきました。
それからです。それまでなんのこだわりもなかった化粧品に初めて向きあったのは。
ポーラ、メナード、カネボウ、アムウェイ、中国のシワ伸ばし、などなど。シワに聞くと言われるあらゆるものを試しました。
しかし、どれも納得のいくものはありませんでした。
そんな時、知り合いが「セルシー」という化粧品会社の商品が良いと、自分の使っている基礎化粧品一式を貸してくれました。それまでなにをしても効果のなかったシワが明らかになくなりました。
その時に「化粧品は知名度ではない」と気づきました。それ以来、「セルシー」という会社の化粧品に対するこだわり、理念のファンになりました。そのこだわり抜いた化粧品を作っていたのが、(株)アウラの創業者、川田社長です。
売り上げ720万を達成し販売代理店に
セセルシーの化粧品でシワがなくなったのは、ほかの人から見ても明らかだったので、周りの人から「どうしたの?」と聞かれることが多くなりました。
聞かれれば、セルシーの化粧品を使ったと素直に答えていたのですが、ただ教えているうちに口コミが広がり、自分で教えてしまった手前、だんだんと責任が出てきて、私が代わりに販売店から買って、周りの人に届けてあげるということをしていました。
ずっと使い続けてくれる人は、直接販売代理店のほうから購入してもらうことになっていたのですが、その販売代理店から買いたくないという人が段々と増えてきました。
買いたくないものまで押し付けられるというのです。
しかたがないから私が上にあがるしかない! そう思い始めました。
販売代理店になるには半期で720万円の売り上げをあげなければなりません。
当時の私にはそんな力はどこにもありませんでした。
それはもう本当に、ゼロからのスタートです。
1,000円の売上がどれほど嬉しかったことか忘れません。
そんな地道な努力を続けていたのと、結果の出る良い商品だったこともあり、だんだんと売り上げがあがり始めました。
最後には、みんなが協力してくれて、私を販売店にするために力を貸してくれました。
みんなが「私はいくらがんばれいいの?」そんな風に聞いて売り上げに貢献してくれました。
本当に周りのみんなに助けられて、37歳のころ、売り上げ720万を達成し、販売代理店に上がることができました。
化粧品だけで生きていこうと覚悟
その頃からエステの施術をしていましたが、当時は今のようにサロンを持つことなく、施術を受けたい方の自宅へお伺いして、ホームエステという形で施術をしていました。
その頃はまだ、会社勤めと両立していました。
それまでは副業的なイメージで、化粧品だけで生計を立てていこうとは考えていませんでした。
その後、2000年頃、私が45歳の頃ですが、セルシーの製品開発のこだわりそのものであった川田社長が(株)アウラを立ち上げ、川田社長のこだわりと理念を信じていた私も、2002年にセルシーからアウラに移りました。
それを機に埼玉の総販売元として法人化しました。
この頃には、会社を辞め、化粧品だけで生きていこうと覚悟ができていました。
今では、たくさんのお客様に支えられているエールですが、ここに来るまではたくさんの困難がありました。
それは、女性が社会で活躍することの難しさの表れでもありました。
私が身につけた美容の技術は、当時約半年の研修期間が必要で、最上位の「美容インストラクター資格」試験は3日間にも及びました。
全国から100人近くが集まるなか、合格者は20人前後ととても厳しいものでした。
それは、子供を二人抱えるシングルマザーにはなかなか厳しい条件でした。
私に与えられたチャンスは1度だけ。
「これが落ちたらもう受けない!」そんな覚悟で試験に挑んだことを覚えています。
結果は、なんとか合格。
当時、研修を指導していただいた先生が、私の状況を察して、親切に根気強く指導してくださったおかげです。
この業界は意外と安定して仕事がある
そんな経験をしながら、エステ業界、化粧品業界のしくみを今年(H30)で28年見てきました。
その経験から言えることは、この業界は意外と安定して仕事があるということです。
女性が社会に出て活躍するにはぴったりな仕事だと思っています。
これから様々な仕事がAIによって取って代わられ、職を失う人が増えると言われています。
レジ打ちはセルフ式のものが増えて、物流はAIによって効率化、接客も家にいながらSKYPE等で済んでしまう時代が来ています。
スマホのアプリを見てみると、ミュージック、カメラ、天気予報、日記、カレンダー、ビデオ、メトロノーム、時計、あらゆるものがあります。スマホの登場で、それらの商品は市場から消えつつあります。
それは働く場所が減っていくことをも意味しています。
しかし、私がこれまで50以上の販売店を育ててきた経験から言うと、化粧品、エステ業界はなくなりません。
いくら優良なマッサージ機が発明されても、オールハンドのエステにはかないません。
どんな時代になっても、女性の化粧品に対する欲求はやむことがありません。
最近では、化粧の低年齢化が進んでいて、16歳の女の子にもなれば化粧をしているのが当たり前になっています。
市場規模もとても大きいものです。現代はSNSを通じて口コミがますます力を持っている社会です。
本当に良い商品を扱えば、今以上に化粧品が広めやすい時代はありません。
だから、多くの販売店を育てることができたのです。
「ありがとう」を集めることが仕事
エステ、化粧品の仕事というのは、美を作る仕事です。
「ありがとう」をたくさん集めることが仕事になります。
自分自身がまずは美しくなること、そして、たくさんのありがとうを集めること、その方法は私がお伝えします。
技術から接客、開業まで、私の28年の経験をすべてお伝えします。
次はあなたの独立を応援します。
やりがいや自立でお悩みの女性はどのような解決方法を探しているのでしょうか